昼単語

最近、お昼休みはカフェで英単語の勉強をしている。

大きな窓と、適度な自然光、そして1人席でまったりと時間を過ごせることが一番なメリット。誰にも邪魔されずにやりたいことに集中できるこの環境が私にとってかなり重要なことに気がついてからはずっとこうして過ごしてい

る。

英単語は詰め込んで覚えようとしてるけど、なかなかすぐには覚えられない。昼にやって、同じ範囲を夜寝る前に復習するけど、ポロポロと覚えられていない単語が出てくる。

だけど、確実にイメージを掴んでいるものも多くて、なんとなくこんな意味だなーと思ってうっすらと覚えられているものもある。

焦らずに、少しずつでもつかめられればいい。

焦るな自分。空気を吸うようにブログを書いて、歌を歌ってアップして、ポッドキャストで今日の1日を振り返ってそうやって何かを継続することができるようになろう。

何かが少しずつ変わると思う。そう信じて!

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ご機嫌になる方法

最近、度重なるイライラや不安な日々を経て一つ考えたことがある。

それは自分の機嫌の取り方。極端な言い方をしてしまうと、周りの空気が多少悪くても、自分がご機嫌であればいい話なのである。

でも勘違いしてはいけないのが、周りの空気を全く読まないということではないということ。

何か問題があってなんとなくピリピリしたムードなのであれば、一応その中で考えてるの雰囲気を態度でしますことは大事。だけど、自分の心の中はいつでも自由。顔は多少シリアスだとしても、今日の夕飯何にしようかーとか、あれ欲しいなーとか思っててもokということ。

生活していると、電車が遅れて不安になるとか、何となく周りの人がイライラしてるとか急にものが壊れて不便するといった事象が発生するけど、これらは自分ではどうしようもできない。そのことにひとつひとつイライラしていたら身がもたないし、何より自分のやりたいことができなくなる。へこんだり、悲しんだり、苛立ったり、落ち込むことは生きている上で当然発生するもの。だから重要なのはなるべく早く回復すること。今目の前で発生している事実を受け止めて、その上で冷静に判断して心を正常な状態にもっていくことが大切。

あとは、持続力の高い自分へのご褒美も大事だと思う。2週間に一度ちょっと自分へのご褒美で服を買って次の日の朝に早速着て気分上げるとか、自分の肌に合うスキンケアを見つけて毎晩リラックスタイムを過ごすとか色々。お金をかけずにできることならすごくコスパがいいけど、それが難しい場合はご褒美として自分に与えることが大事かなって思う。

趣味は散歩なので、リラックスできておすすめ。

今は自分へのf:id:Mun:20230629140413j:imageいろんな機嫌の取り方を模索中。

どんだけ多忙なんだよ!

何気ない会話ができないって辛いよね。

LINEで映画見に行くんだー!って彼氏に送って4時間経っても既読すらつかないのって辛すぎるよね。

今日会いに行ってもいいかなー?っていう連絡はしてくるのに、こんなに何気ない会話を一言二言することすらもできないってなんなんだろう。

どんだけ多忙なんだよ。全盛期のピンクレディーかよって思うんだよね。

 

私の愛情を試してらようでなんだか辛い。

俺の都合に合わせてよ。だって好きなんでしょ?っていう彼の心が透けて見える。

もう無理かも。

恋愛ってもっと楽しいはずなのに不安や心配ばっかり。結婚してるわけでもないのになんでこんなに心労が溜まるのか。

理想のおうち

そうだなー、新しい部屋を借りるなら

日当たりが良くて、床が白くて、駅から徒歩5分以内で、電車の音もしないくらい静かで、部屋は10畳くらいの1Kがいいな。

恵比寿や渋谷に乗り換えなしで行けるなら必然的に家賃は上がっちゃうから部屋の広さにはあまりワガママ言いません。

あ、あと防音室完備で夜中に楽器を吹いても一切音漏れがしないようなそんなお部屋が理想です。

上京して約5年。感じたのは私にとって環境整備は重要だってこと。

環境ってのは、主に駅近であることと、職場に乗り換えなしで行ける部屋であるってことかな。

タリーズでミルクティーとドーナツを食べながらふと理想の不動産を想像する。

そして、実際に不動産屋のホームページを覗くと家賃を見て、やっぱりねー、高いよね。と1人で思う。

でも実際はどうなんだろう、私は何が理想のアパートなんだろうな。

オリーブオイルの活用法

些細な苛立ちが、少しずつ溜まってなかなか気持ちが晴れない時ってどんな現象と似てるんだろう。

例えるなら、保湿クリームを塗っているのに数分すると徐々に乾燥し始め、そのまま放置すると1時間後には粉を吹いてしまうみたいな感じかな。

なんかもう、パリに行きたい。

臭くても、道にゴミが捨ててあっても、セーヌ川が予想よりはるかに汚く濁っていても。

それでも、パリの異国情緒を味わいたい。

日々の細かな苛立ちから解放されたい。日本人の中でずっと日本人として生きてきたんだからもういいじゃない。数ヶ月海外でぼーっと暮らしたって。

他人と何かを分かち合うのって多分素晴らしいことなんだと思うけど、常に誰かと気持ちを通じ合わせようとは思ったことはない。

だってかなり心が消耗するから。多少の価値観を乗り越えた先に相手の嫌なところも含めて好きになれるのが恋愛なら、人間関係ってそれほど努力しなくていいんじゃないかなって。

だってほんの少しの出来事でかなりエネルギーを使ってしまうから。

最近気がついたけど、食べ物のシェアは基本すごく嫌いだけど、ごくわずかに仲の良い友だちなら快く受け入れることができる。

物事を円滑に進行するための手段であるコミュニケーションではそれ自体は潤滑油として機能するけど、どうもうまくいかない。

揚げ物に高級なオリーブオイルを使うんじゃなくて、焼きたてのフランスパンに高級なオリーブオイルをディップすることがしたいのです。

 

協調性とは

協調性ってなんだろうか。

 

会社内で働く上で、私たちはある程度の我慢を強いられることが要求される。

その種類として、個人が業務を快適に遂行するものと、チームとして業務遂行に必要と思われる要望で受け取られ方がかなり異なると感じる。

休憩時間をゆっくりと一人で過ごすための広いスペースの確保や業務で使う個人スペースの確保などは会社側に要求すればするほど単なる協調性のない社員として扱われるように思う。

前提として、社屋が狭い、人数の関係で休憩スペースをぎゅうぎゅうに使わなければならない場合はもう仕方がないと思う。物理的な制約はもうどうしようもないからだ。

しかし、私たちが成長段階で植え付けられた感覚として「私が我慢してるんだからあなたも我慢しなさいよ」という圧力が相当数存在するのではないだろうか。そうやって合理性がないルールに対して我慢してきた人からすれば、そのルールに異議を唱えたり、別の方法を提示する人は単なるワガママにうつってしまう。

だから私たちは雇われている以上協調性のないハミダシものにならないように気をつけて仕事をしなければならない。

そしてこの感覚は業務に大きな影響を与えるようなことに対しても同じように我慢すべきだと考えられることがある。

規則を頑なに守ることによって業務が遅滞したり、取引先に結果的に迷惑をかけることになることもあるのに。

私の会社では社員は皆我慢する。明らかな業務の遅滞が生じていても、ルールがあるから。そしてそのルールの運用の責任者との間でいざこざが生じないように。

そうして毎度同じ業務で同じ不便が生じ、ストレスがたまり、席が近い人に愚痴るのだ。「この制度不便だよねー。こういうときはさ、柔軟にルール変えてもいいよねー」と。

このような不満やストレスが大いに溜まって何か軽めの時間が起こらない限りルールの運用は見直されない。そして立場が下のものが何を言っても基本は流される。うーん、考えてみるよ。今抱えている案件終了したらね。と言ってうやむやになる。だがこの対応に耐えきれず何度も何度もつつくと協調性のないやつだという評価に変わり仕事は格段にしづらくなる。

このような会社の中でうまく生きていけるのは

やっぱり多少の不便やストレスとうに鈍感である人か、気がついても周りと合わせていける人なのだとひしひしと感じた。

 

あー、もう一人で仕事できる技術を身につけよう。

焦るな、ゆっくり確実にやっていこう。私。

最近気がついたこと。

以前、友人に「経験からしか学べない」と言われた意味がようやく理解できるようになった。

他人の成功までの努力の過程や、人間関係の構築方法、各々のメンタルの保ち方、ストレス発散法などがYouTubeや書籍、ウェブメディアで簡単に知る方ができる。

そして、私たちは一般的に成功したと呼ばれる他人の経験を沢山知るほど、自分の経験値が少し上がったような錯覚に陥るのだと思う。

私もその一人。気になる男性の言動が気になると、恋愛に関する記事を沢山読み漁り、その道で百戦錬磨ですと語る人たちのアドバイスをいくつも読んで自分の中にストックしていった。

あ、この時の彼の態度は駆け引きだったのか!

ともすれば私はこんなにうかうかしていられない、LINEの返事はもう少し間隔を空けよう!などと、決して自分の経験でないことを自分のこととして現実の場面に当てはめてきた。

 

しかし、LINEを送信してから気がつくのだ、

あの人のアドバイス通り返信を遅くしてみたけどなかなか既読が付かない。これは本当に駆け引きなのか?それともただ忙しいだけなのか....?

そうして、彼の真意はわからずにこの一件は終わる。そして、また彼に対する別の疑問に対して似たような経験を持つ恋愛マスターの話を聞いて実践する。だがこれは彼に対してどうして返信が遅いのか聞けば良いだけの話で、何日も悩むような話ではない。また人が違えば状況も変わるように、恋愛マスターの状況と今の私の状況もおそらく違うはずだ。なのに私は自分で失敗をすることなくバーチャルな経験を重ねて恋愛をすることになる。

つまり実践を全くしていないのだ。ひどい失敗もない代わりに彼の行動に対する思いも彼自身から聞き出すことができないままなんとなく思い悩む日々が続いてただひたすら落ち込む日々。

そして気がつくのだ。こんなバーチャルな経験に大きな意味はないと。

私が悩んでいるのは相手の気持ちが見えないから、相手の言動があまりにも不確実だから。

それなら相手に聞けば良いのだ、なぜそんな態度なのかと。

返答によっては自分が傷つく場合もあるけれど、それは自分にとっての大きな経験値の人になることは間違いない。

どんなに傷ついても、嫌な思いになったとしても血となり肉となるのはいつだって自分の経験。他人の経験はあくまでも参考程度。

そうやってほんの少しずつ傷つきながら知ることでしか本当の意味での経験には到底なりえない。

もう忘れないようにしたい。そう思った今日