協調性とは

協調性ってなんだろうか。

 

会社内で働く上で、私たちはある程度の我慢を強いられることが要求される。

その種類として、個人が業務を快適に遂行するものと、チームとして業務遂行に必要と思われる要望で受け取られ方がかなり異なると感じる。

休憩時間をゆっくりと一人で過ごすための広いスペースの確保や業務で使う個人スペースの確保などは会社側に要求すればするほど単なる協調性のない社員として扱われるように思う。

前提として、社屋が狭い、人数の関係で休憩スペースをぎゅうぎゅうに使わなければならない場合はもう仕方がないと思う。物理的な制約はもうどうしようもないからだ。

しかし、私たちが成長段階で植え付けられた感覚として「私が我慢してるんだからあなたも我慢しなさいよ」という圧力が相当数存在するのではないだろうか。そうやって合理性がないルールに対して我慢してきた人からすれば、そのルールに異議を唱えたり、別の方法を提示する人は単なるワガママにうつってしまう。

だから私たちは雇われている以上協調性のないハミダシものにならないように気をつけて仕事をしなければならない。

そしてこの感覚は業務に大きな影響を与えるようなことに対しても同じように我慢すべきだと考えられることがある。

規則を頑なに守ることによって業務が遅滞したり、取引先に結果的に迷惑をかけることになることもあるのに。

私の会社では社員は皆我慢する。明らかな業務の遅滞が生じていても、ルールがあるから。そしてそのルールの運用の責任者との間でいざこざが生じないように。

そうして毎度同じ業務で同じ不便が生じ、ストレスがたまり、席が近い人に愚痴るのだ。「この制度不便だよねー。こういうときはさ、柔軟にルール変えてもいいよねー」と。

このような不満やストレスが大いに溜まって何か軽めの時間が起こらない限りルールの運用は見直されない。そして立場が下のものが何を言っても基本は流される。うーん、考えてみるよ。今抱えている案件終了したらね。と言ってうやむやになる。だがこの対応に耐えきれず何度も何度もつつくと協調性のないやつだという評価に変わり仕事は格段にしづらくなる。

このような会社の中でうまく生きていけるのは

やっぱり多少の不便やストレスとうに鈍感である人か、気がついても周りと合わせていける人なのだとひしひしと感じた。

 

あー、もう一人で仕事できる技術を身につけよう。

焦るな、ゆっくり確実にやっていこう。私。